第4回 1月27日 有岡穂乃香・厳素芬
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テーマ:遺族となった母親 彼女にとっての復興とは
担当:有岡穂乃香 取材相手 大石博子さん
◆トーク1
震災が起きた時は2歳でした。当時の記憶はなく、震災について学ぶのはこれが初めてです。そんな私が取材をしたのは、神戸市兵庫区に暮らしている大石博子さん。20年前の45歳の時に震災に遭い、当時16歳の朝美さんを亡くしました。今回、私は「震災で遺族となった母親・大石さんにとっての復興とは」というテーマのもと、地震で最愛の娘を亡くした一人の遺族に取材を重ね、「どんな20年を歩んできたのか」お話を伺い、そして、本当の復興とはなにか」について考えました。この震災により、大石さんの自宅は全壊。大石さんは3時間後に助け出されました。しかし、次女の朝美さんは、助け出された後、「ただ、生きて欲しい」その一心でお父さんにより人口呼吸が施されました。しかしその思いは叶わず、朝美さんは搬送先の病院で息を引き取りました。享年16歳。この震災により、大切な娘を失った大石さん。取材の中で、大石さんは当時の朝美さんとの思い出の写真を笑顔で見せてくれました。10年、20年と時間が経っても忘れることのない娘との思い出。朝美さんを想う気持ちは当時のまま。震災から20年。母親の想いを聞きました。
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◆トーク2
神戸の街が表面的に復興したように見えても、記憶の中に朝美さんが生きている限り、大石さんにとっての復興への歩みは続きます。どんなに苦しい思いをしても大石さんはこの20年を前向きに歩んで来られました。この20年、彼女を支えたものとは何だったのでしょうか。そして、震災があった1月17日午前5時46分。大石さんは「最後の声を聞くことが出来なかった。娘の声が聞きたい」と取材の中で何度も口にしていました。今、朝美さんに伝えたい思いを聞きました。取材後、目に涙を浮かべていた大石さん。それは、朝美さんを想う母親としての気持ちが溢れ出した瞬間だと思います。「心の復興」に終わりはありません。だからこそ今、私たちに出来ることは被災者の声を聞き、寄り添ってあげる事です。被災者の声に耳を傾けることは被災された方の心を開いていく一つの手助けになります。現在、日本ではこれからも多くの大震災が予測されています。この放送を聞いているあなたなら、震災が起きた時、街の復興にばかり目を向けるのではなく、被災者に寄り添いその声を聞くことが出来るのではないでしょうか。最後に、私は自分の身を守るという意味でも阪神淡路大震災について学べて良かったです。私のように震災を経験していない人にとって、震災について知るきっかけがこの番組であって欲しいと思います。
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テーマ:民族の壁を越えて、「共死」そして「共生」
担当:厳素芬 取材相手 陳来幸さん
◆トーク1
1995年(平成7年)1月17日午前5時46分52秒(日本時間=UTC+9)、淡路島北部(あるいは神戸市垂水区)沖の明石海峡(北緯34度35.9分、東経135度2.1分、深さ16km)を震源として、Mj7.3の兵庫県南部地震が発生した。この大震災において、多くの人々が、震災の激しい被害に直面し、強い意思で生き延びてきた。また、多くの人々が、さまざまな場所で、さまざまな立場でさまざまな経験をした。これに対して、これらの多くの人々が、一つ共通な思いが持っている。それは、震災を遭遇した後の家の瓦礫、心の破片はどのように修復できるのか、希望と夢を持ち続いた。
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◆トーク2
今年(2015年)の1 月17 日は、阪神淡路大震災が起こってから20 年目、多くの実践や試み、努力が積み重ねられた今。当時、想い描いた復興のすがたの中で、実現できたこと、実現できなかったことも明らかになってきた。また、復興についての考え方が変化したり、新たな課題が見えてきたりとしたということもあるかもしれない。
これらの震災を経験された方々に、特別なグループがあった。それは神戸在住の華人・華僑の方たちなのだ。そのグループの一メンバーである陳来幸さんにインタービューし、震災当時の状況と震災後に変化があったことを明らかにする。それに対しての「復興」をどう考えるのか、実現したこと、しなかったこと、ついてうかがう。震災をしらない若い世代に、新華人・華僑の方たちにどのような影響を及ぼすのかを究明したい。