2014年01月07日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室3年進級制作「自分のルーツを探る」 第1回

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こんにちは、関西学院大学の竹川祥希です。
今回の番組のテーマは「自分のルーツを探る」です。そこで私は祖母の故郷である宮崎県に取材に行ってきました。そこで祖母の時代の暮らしがどのようなものであったか知ることができました。祖母の故郷である木城市は今でも田園風景が広がるのどかな村です。家の周りには田んぼだらけで他には何もない、といった感じの場所です。そんな所で祖母はいったいどんな暮らしをしていたのか、またそれは現在の暮らしとどのように違うのか、取材の中でわかったように思います。まずは祖母の幼少時代から学生時代の話を聞きました。当時はちょうど第二次世界大戦が終わったところで日本全体が疲弊していました。しかし祖母の家は農家であり、畑も無事であったので食料に困ることはほとんどなかったそうです。しかしだからといって裕福な暮らしであったかと言えばそういうわけには行かなかったようです。高校生になるころには都市部などの一部地域は復興しつつあり多くの人手が必要であり、逆に宮崎のような田舎の家庭の子供は少しでもお金を稼がなくてはならない状況であったそうです。なので祖母は高校卒業するとすぐに就職し親元を離れたといいます。

◆パート2
こうして祖母は岐阜に就職しましたがそれからが本当に大変だったと言っていました。知らない土地で知らない人と狭い部屋で暮らし、自分の場所なんてロッカー一つ分なんて状態であったと言っていました。親にも会えず唯一のつながりは手紙のみ、電話がなかったわけではないですが当時はそんなに気軽に使えるものでもありませんでした。一年に一回親にあえればいいほう、といった状態だと言っていました。そうして祖母は働き続け、数年後大阪に転勤になったそうです。そうして私の家族ら宮崎から関西に移り住み、今私がここにすんでいるんだということを知りました。当時の都市部の人手不足がずっと過去から宮崎に住み続けていた家系が別の地域に移り住む原因になったということだと思います。そうして祖母が、悲しい思いをしながらも1人働き続けてくれたおかげで今関西で楽しく暮らしていると思うとなんだか感慨深い気持ちになります。

◆パート3
私のルーツを語る上でもう一つ重要な要素があります。
これまで話してきたように私の家系は農家の家系なんですが、農家になる前は武士だったのです。私自身今回の取材で始めて知ったことですし、祖母ですら知らなかったことであったと言います。私は宮崎で取材しいてる間祖母の姉の家に泊まらせていただいていました。そこで昔の暮らしなどについても聞いていたのですがその中で先祖は武士であったということ教えてくれました。祖母の姉から聞いた情報をもとに図書館やインターネットを使い調べたところ1人、史実にも残っている偉大な人がいるということがわかりました。自分の先祖にこんなにすごい人がいるとわかりたいへん驚かされました。彼は金丸惣八といい、用水路をつくり宮崎を救った人です。

◆パート4
惣八が用水路を作ったことにより宮崎の水不足は解決し、村は活気づきました。惣八の死後にも用水路は広げられ続け現在では宮崎で最大の灌漑面積をもつ用水路になりました。惣八の功績をたたえすべての下となったため池は現在でも「金丸堰」と呼ばれ親しまれています。私は今回の取材を通し今まで知らなかった多くのことを知ることができました。なかなか親や祖父母に話を聞くという機会はないと思いますが、ぜひこの放送を聞いてくださった方は一度話を聞いてみてください。自分の先祖がどのようにして暮らし、なぜ今自分がここで生きているのか知るいい機会になると思います。そしていつかは自分の子供や孫に伝えていってください。それではお聞き下さりありがとうございました。
posted by fmyy at 14:23| Comment(1) | Podcast | 更新情報をチェックする

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