2015年01月13日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 3年「あなたと話したい、復興ってなに?」阪神・淡路大震災から20年、あらためて復興の意味を考える(2)

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担当:富家さつき(写真右)取材相手 宇賀芳樹さん 小柴早紀子(写真左)取材相手 中嶋邦弘さん
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インタビュー対象者、宇賀芳樹さんについての紹介
 神戸市須磨区、真言宗の浄徳寺のご住職
インタビューした理由
 他の人よりも多く「死」と向き合ってこられたご住職のお話を聞きたい。
 宗教者にとっての「復興とは」
震災当日の話
復興を早くしないといけないと強く感じた出来事
 お母さんと赤ちゃんの話
復興の原点とは
 「早く町を元通りにしないといけない」
住職にとっての復興とは
 若者たちが育っていくこと
震災の良い方の産物とは
 ボランティア活動が始まる
 ライフラインの大切さ

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今住職がしていること
 毎日ご冥福をお祈りし続けたい
震災の記憶が風化されないように
 鐘を毎日つき続ける
 亡くなった方々の慰霊をし続けていきたい
まとめ
 まだ復興は続いている
 震災の体験を語り継いでいかなければならない
 震災当日だけ震災の事を思い出すのではいけない
 私たちにできること

ご住職はこのインタビューを通して「復興は復興の原点なくして語れない」と何度もおっしゃっていました。住民の方々が「早く町を元通りにしないといけない」と口々に叫ばれたことが復興の原点である、とおっしゃっていたのが印象に残っています。
そして、震災の記憶を忘れてはいけない、という強い思いからお寺の釣鐘堂を一番に復旧させ、毎朝震災が起こった5時46分に鐘をついておられます。震災で亡くなった方々の慰霊をし続けて、震災の記憶を風化させないようにしないといけない、という思いが伝わってきました。

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中嶋邦弘さんの紹介
 震災当時50歳、兵庫県の職員として災害対策本部で政策に関わっておられた。
 現在、兵庫の郷土史を伝える活動や、FMYYでの放送をされている。
 震災に関わる活動のお手伝いもされている。
当時の状況
 自宅で被災され、県庁に来てからは無我夢中に目の前のことに取り組んだ。
政策に関わる中で感じたこと
 実際に経験していないと分かってもらうことが難しかった。
 国に要求を出しながら、災害対策本部を現地におき主体となって動いた。
 国・県・市町村が一丸となって当時すべきことに取り組んだ。

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変換点となった阪神淡路大震災
 災害対策の基盤を作り上げることとなる。
忘れてはならない教訓としての阪神淡路大震災。
今後出てくる問題が現れたので、これを政策にどう生かすか。
中嶋さんにとっての復興
 人がいないと復興じゃない。だからまだ復興はしていない。
 復興にゴールはない。日々変わる社会情勢に対応したものが求められている。
現在の活動への思い
 昔から好きだった郷土史を伝える活動をされている。
 県や市のために何かしたいという思いを持ち続けている。
中嶋さんは阪神淡路大震災が、日本の災害に対する制度や意識を大きく変えたものであり、今の教訓となっているということを強く話していた。行政機関は一丸となってできたけど、復興への正解は見つからないということが強く印象に残っています。
現在も兵庫県の郷土史を伝える活動をされており、県や市のために何かしたいという思いをインタビューを通して強く感じました。
posted by fmyy at 21:36| Comment(0) | Podcast | 更新情報をチェックする

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