2015年01月20日

関西学院大学総合政策学部山中速人研究室 3年「あなたと話したい、復興ってなに?」阪神・淡路大震災から20年、あらためて復興の意味を考える(3)

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2015年1月20日担当:原千純(左)金城暁子(右)
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・原千純 取材相手:木辻清子さん

◆Talk1
今回インタビューをさせていただいたのは、木辻清子さん(62)。震災当時も現在も新長田の市営住宅にお住まいで、車いすに乗っておられる。現在はピータンハウスという、主に車いすの方が働く作業場に勤めておられる。木辻さんは、被災した当時、近くの学校の体育館で避難生活を送った。トイレがなかったため、家まで戻っていた。その際、瓦礫を箒で掃きながら移動しなければならなかったため、とても苦労された。
現在の生活は、公共施設にバリアフリーが増え、道路もきれいに整備され、過ごしやすくなったと語っておられる。
ピータンハウスは、震災当日が開所予定日だった。その場所が震災で潰れてしまったが、ボランティアの方々をはじめ、たくさんの人達に支えられ、再スタートをきることができた。

◆Talk2
現在苦労されていることは、玄関前の段差により、車いすでは訪問しにくくなっているということ。新しく建て替えられた住宅には段差が多いそうだ。この段差が、車いすに乗っている人とそうではない人がかかわり、関係を築いていくことを難しくしている。木辻さんは、ピータンハウスを、そういったかかわりあえるきっかけの場にしていきたいとおっしゃっていた。
ピータンハウスは、設日当初から、人とのつながりを大切にしてきた。そして、「障害あるなしかかわらず、老いも若きもピータンハウスによっといで」をキャッチフレーズにし、地域とのかかわりをもっとやっていきたいと木辻さんは語っていた。
ピータンハウスは震災が起こるまで積み上げてきたものがなくゼロからのスタートだった。たくさんの人に支えられて20年間やってこれたことが一つの復興の形ではないだろうか。ピータンハウスがこれからも人と人との架け橋になってくれることだろう。
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・金城睦子 取材相手:米久博子さん

◆トーク1
宝塚市にお住いの米久博子さん。警察官の旦那さんが泊まり込みのお仕事中に、5歳と10歳のお子さんとともに被災されました。旦那さんとは連絡が取れずに、心配な時間を過ごしました。余震に耐えられず、宝塚から大阪へ避難しに行こうと思い立つが、電車が止まっていたので中山まで歩いて行ったそうです。警察官の旦那さんは、ずっと仕事で出ていて、休みがもらえれば、大阪の家族に会いに来ていました。旦那さんは、仕事のつらさを、米久さんに、涙を浮かべながら話してくれたそうです。余震がましになって、宝塚に帰っても、苦労は続きました。お子さんの心の傷は大きかったようです。一人の空間に耐えられなかったり、大阪から宝塚に帰ることを拒んだりしました。

◆トーク2
米久さんは、「子育て学習会」という団体で、震災のデータが記載された、冊子を作るために、先頭を切って活動を行いました。震災の苦しさから逃れたいという思いと、子どもたちにデータを残してあげたいという思いが強くありました。「街も心も完全には復興していない。」と語る米久さん。今でも思い出すと、涙が溢れるそうです。つい最近まで、フェニックス共済でお仕事をしていました。1月17日、宝塚市で、震災を見立てて避難訓練が行われました。その際、お仕事中にもかかわらず、思わず涙が溢れてしまいました。それを見た、職場の方々は、優しい言葉を米久さんにかけてくれたのです。「痛みの共有が心の復興へ向かう」ということを、実感したそうです。
posted by fmyy at 16:48| Comment(0) | Podcast | 更新情報をチェックする

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